2013年11月18日月曜日

マイケル・ジョーダン大特集 !!!! 2013年11月18日号


★ マイケル・ジョーダン大特集 ★

 今回はバスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンの大特集です。
知らない人はいないと思いますが、マイケル・ジョーダンの生い立ちを
この機会におさらいしてみましょう !!!!

15年に亘る選手生活で得点王10回、年間最多得点王11回、
平均得点は30.12点でNBA歴代1位。
1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、6度のNBAファイナルMVP受賞。
現役時代の背番号23番はシカゴ・ブルズマイアミ・ヒート(注)、
ノースカロライナ大学の永久欠番となっています。

(注):球団が保有する背番号23は、ジョーダンが同チームでプレーしていないにもかかわらず、NBAに貢献したということで永久欠番にすると2003年にパット・ライリーが決定しました。
(一説には「マイケル・ジョーダンに苦しめられたパット・ライリーが、自チームで23番を見たくないからだ」とも言われています。)

★ 生い立ち ★ 
生後3週間でシリアル食品を食べていたのは有名な話し(笑)
少年時代はノースカロライナ州ウィルミントンで過ごし、その後地元の
E・A・レイニー高校に入学。
あのジョーダンも最初はバスケットボールチームに入れませんでした。
高校卒業後はノースカロライナ大学に進学。
同校2度目のNCAAチャンピオンに導きました。



2年次にはチームの主力となり、その年には全米のジュニア選抜に選ばれました。
この年のシーズン終了後、プロ入りを決意。
1984年のNBAドラフトシカゴ・ブルズに全米3位で指名されました。

★ キャリア ★
ジョーダンは入団1年目からレギュラーの座をつかみ、平均得点はリーグ上位の28.2点を記録。
2年目は怪我によりシーズンの多くを欠場したものの22.7点。そして3年目にはその才能を完全に開花させ、リーグトップの一試合平均37.1点、シーズン総得点は3,000点を超えウィルト・チェンバレン以来の数字を残しました。
得点能力のみならず運動能力、特に空中でのボディコントロールには抜群のセンスを見せることで若手ながらリーグ屈指の人気選手となり、ブルズが遠征で訪れる試合は多くの観客を集め、ホームの試合のチケットは入手が困難になりました。
1980年代が終盤に近づくと、この時代イースタン・カンファレンスを支配していたボストン・セルティックスが徐々に衰退し始め、代わってデトロイト・ピストンズが台頭するようになる。一方のブルズもまた、若手のダグ・コリンズ監督の下で力を付け始め、ブルズは年間50勝できるチームにまで成長していきました。
1987年にセルティックスに敗れた次のシーズンから、ブルズは毎年プレーオフでピストンズと対戦するようになり。この時期、荒いディフェンスでバッドボーイと呼ばれていたピストンズは、対戦する度にブルズとジョーダンを痛めつけ敗退させました。


1988年、1989年もプレーオフでピストンズに敗退、アシスタント・コーチだったフィル・ジャクソンが監督に昇格します。若手のスコッティ・ピッペンとホーレス・グラントも次第に成長していきブルズはジョーダンのワンマンチームからジャクソン監督のシステム下で役割分担のチームワークを持った手堅いチームとなっていきます。
しかしプレーオフでは、ピッペンの変調などもあり、3勝4敗でまたしてもピストンズに惜敗。このシーズンと前シーズン、ピストンズは連覇を果たしており、チーム史上の絶頂期でした。

★スリーピート★
翌1990-91シーズン、ブルズはチーム史上最多の61勝を挙げます。
プレーオフでは、カンファレンス・ファイナルでピストンズと4年連続の対戦。

この年は4勝0敗でこれまでの雪辱を果たし、NBAファイナルではマジック・ジョンソンのロサンゼルス・レイカーズが相手となります。新旧スーパースター対決となったこのシリーズを、
ブルズは4勝1敗で勝利し初優勝を決め、ジョーダンはファイナルMVPを受賞します。



翌シーズン、ブルズはリーグ史上屈指の67勝を果たした。再びNBAファイナルに進出、
ブルズは、ポートランド・トレイルブレイザーズと対戦。ジョーダンに似たタイプで得点力のあるシューティングガードのドレクスラーを相手に、ジョーダンは目覚ましいパフォーマンスを見せ、4勝2敗で2年連続の優勝を実現しました。
次の1992-93シーズンも再びNBAファイナルに進出、ウェスタン・カンファレンスを制したのはフェニックス・サンズで、ジョーダンの親友でもありチームのエース、チャールズ・バークレーはこのシーズンMVPに選ばれた。
シリーズは敵地での6試合目を制したブルズが勝利し、3度目の優勝を決めた。このシリーズで平均41得点(NBAファイナル歴代最高)をあげたジョーダンはMVPに選ばれました。
3連覇達成後シーズンオフの1993年7月23日、不慮の事件によって父親を失ったジョーダンは、突如引退を表明します

★ 復帰 ★
1995年3月に再びブルズに復帰します。プレーオフでは、1回戦でシャーロット・ホーネッツを3勝1敗で下し、続くカンファレンス・セミファイナルではオーランド・マジックと対戦。
オーランドはシャキール・オニールとアンファニー・ハーダウェイという二人の才能ある若手を擁した新進気鋭のチーム。このシリーズ、ジョーダンは重要な場面で些細なミスを繰り返し、2勝4敗でブルズが敗退する原因の一つとなった。

★ 後期のスリーピート ★
1994-95シーズン終了後のオフ、ジョーダンはバスケットボールの体型を取り戻すべく、
そして再び優勝を狙うために懸命にトレーニングを行います。
1995-96シーズンが始まると、ブルズは快進撃を続け、NBA史上最高の勝利数を狙えるほどの勢いだった。ジョーダン、ピッペン、そしてかつての宿敵デトロイト・ピストンズから移籍してきたデニス・ロッドマンはリーグ最強の3人組として注目を集めます。
ブルズは72勝10敗でレギュラーシーズンを終え、この勝ち数はNBA史上最多であり、70勝を超えたチームも歴史上初だった。ブルズは数字上史上最強のチームとしてプレーオフに臨み、NBAファイナルでシアトル・スーパーソニックスと対戦。敵地のシアトルで2試合を落としたものの、6試合目にシカゴに戻り4度目の優勝を決めた。ジョーダンは再びファイナルMVPを受賞します。
続く1996-97シーズン、このシーズンもブルズはファイナルに進出。ウェスタン・カンファレンスからは、ユタ・ジャズが勝ち上がってきます。史上屈指の名コンビと言われるジョン・ストックトンとレギュラーシーズンのMVPカール・マローンを相手に、シリーズは4勝2敗でブルズものにし、ブルズとジョーダンの優勝回数は5回となります。
続く1997-98シーズンはブルズの2度目の「スリーピート」がかかっており、
様々な意味で注目を集めることになった。ブルズはNBAファイナルに進出し、対戦相手はこの年もユタ・ジャズでした。
5戦目までで3勝2敗でシリーズの舞台をユタに戻し、臨んだ第6戦、ジョーダンは残り5.2秒で決勝シュートを決め、ブルズに6度目の優勝と2回目のスリーピートをもたらしました。
ジョーダンはシーズン終了後の1999年1月13日に2度目の引退を発表します。
この後もまだまだありますが、今日はこのへんにしておきます(笑)
WOWOWでも毎年マイケル・ジョーダンの日、11/23にジョーダンのインタビュー
過去の名勝負なども放送してるので是非チェックしてみて下さい !!


















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